seikatsu

楽しい生活をやっています

大人を許せるか

もっと自分の気持ちを大事にしよう、やりたいことをやろうよ、という話題がかなり増えてきたように感じる。

こんなに「自己肯定感」「セルフケア」「自己受容」という言葉が当たり前に通じる日が来るとは思っていなかった。
フェミニズム」「毒親」「発達障害」とかも、全く聞いたことがない人はもう少ないんじゃないか。
モラハラはする方が当たり前に悪いし、親や学校の都合で子供を管理していいの?という、上下関係を絶対とした社会に対する疑問も徐々に広がっている。
常識的でちゃんとした人になるより、自分の感覚を優先する人が増えた。ちゃんとした人をやれなかった人間として、こんなに心強いことはない。

「人間が先、社会はあと」が、少しずつ始まっている。
大人の都合なんか関係なく楽しいことをやっていた、子供の気持ちが蘇るみたいに。


一方で、相変わらず長時間労働・低賃金・重い税負担・全体主義は大手を振って居座っているし、物価は上がるし、物価が上がるんだから金が要るだろ、大人しく社会人をやれよ、労働しろよ、出来ないヤツは自己責任だし障害者扱いされても仕方ないだろ、生産性を上げろ、税金払ってないんだから黙ってろよ、生活保護受給者はわきまえて申し訳なさそうに生きろとか、そういう「社会が先、人間はあと」の巨大な力は、ますます「社会が先だつってんだろ~~~!!!!!お前らちゃんとしろよ!!!!!!!」と大暴れしている。

大暴れされると怖い。子供の頃の恐怖がフラッシュバックする。
どうしても行きたくない保育園へ、なんとか向かわせようとする母親に引きずられて膝を擦りむいた痛み。お腹が痛いから休みたいと訴えたら、熱が無いんだから大丈夫でしょ、仮病なんじゃないの?と取り合ってもらえなかった時の悲しい気持ち。ジャージ登校を禁止して、制服のスカートの丈を揃えようと何度も執拗にチェックするのに、自分はジャージ姿で授業をする中学の先生に失望したこと。
それでも学校は当たり前に行くものだから、どんなに理不尽でつらくても行かなくちゃ。


ちゃんとした人をやろうと頑張った結果、体も精神もボロボロになって、このままじゃどっちにしろ死ぬ、どうせ死ぬなら自分が納得することをやって死にたい、そう思って私は会社で働くことを諦めた。まじめな会社員を諦めた。ちゃんとした人を諦めた。

たくさんの問題を抱えながら、それでもなんとか自分の感覚を殺さず、心地よく生きられる道を探している。無理して大人になるのはやめた。
とっくに成人したけれどまともな大人にはなれなかったし、今でもまともな大人たちが、つまり社会が怖い。子供の頃からずっと変わっていない。
日本でいうところのまともな大人って、社会に適応して、「まじめな会社員」になった人のことでしょう?


「人間が先、社会があと」と「社会が先、人間があと」はお互いに憎しみ合って、お前たちはおかしい!と言い合って、結局話は全然前に進まない。
私は、自分の特性が社会に都合が悪いというだけのことを、お前は弱い、発達障害だ、そんなんじゃ社会でやっていけないよ?と言われ続けてきたことに怒りを感じている。
腹が立って仕方ないのに、そこから抜け出すことが怖くて、なんとか自分を押し込めようとしてきたことも後悔している。
でも、もういいから、前に進みたい。どうせ生きるなら、心地よく楽しい道を歩きたい。

怒り続けることに疲れた。どうやって進めばいいかはまだ分からない。


最近、社会や権力、大人の側も不安で怖くて仕方がないのかもしれない、と考えるようになった。
今までうまく回ってきたことがメチャクチャになるんじゃないかと怯えているのかもしれない。

今まで通りの社会を回していくために、経済成長するために、自分たちの地位が傾かないように。
選挙演説中に、銃で撃たれて死なないように。
そのためだったら、個人の幸せなんて些細なことだし、むしろ幸せになろうとしてもらっては困る。
国民が社会の役に立つより自分の幸せを大事にしようなんて考えないように、長時間労働・低賃金・重い税負担・全体主義を推し進め続ける。
プレッシャーを掛け続けて、錆びきった歯車を無理やり回そうとしている。

みんな仲良く、いい子でいてほしい。文句を言わずにいい子で従っていれば、すべてが上手くいくんだから。
いい子がどんなことを考えているか、どんな苦しみに耐えながら仲良くする努力を続けているかなんて、想像したくない。
自分は他人の苦しみを受け止めることができない、弱い存在だと思い知りたくない。
うまく回っているように見えていた裏側で、どれだけの人が自分たちを恨んでいるか。そんな恐ろしい可能性はなかったことにしないといけない。
みんな仲良く。家族の絆を大切に。わきまえている女性はすばらしい。働いて笑おう。
そんなところじゃないだろうか。


前に進むために、どうすればいいか考え続けている。
相変わらず大人のことは怖い。でも、向こう岸にも不安や恐怖があることを想像すると、今までとは違った景色が見えてきた。

いつか、彼ら、彼女らを許したいと思う。まだ許せないし、今まで散々苦しめてきたんだから頭を下げて生きろよ、償えよ!と叫びたくなる。
これからは、私の人生に立ち入ってほしくない。立ち入ってほしくないから、自分で恐怖に対処する方法を探している。
色々な人やものの力を借りながら、昔よりはずいぶん対処できるようになったじゃないかと、自分では思っている。


私にはもう償わなくていい。向こう岸にある不安や恐怖も小さくなることを願っている。
お互いに不安で出来た傷を癒し終えたら、話し合って前に進める日が来るかもしれない。