seikatsu

楽しい生活をやっています

日記:言いっぱなしの断片でいいんじゃないの宣言

~4/4

Twitterをやるのがいよいよしんどい。
Twitterは瞬間的に思ったことやその時の気分を含めた体調を記録しておく、あとは友達とのコミュニケーションのために使っていて、もうなんだかんだで12年くらい続けてきたけれど、TwilogやTwisaveがサービスを停止して体調のログにはならなくなったし、友達と会えないけど話したいときに使える、以外のメリットがなくなってしまった。
うっかりタイムラインをじっくり見てしまうとネガティブな話が流れ込んできてしんどいし。ていうかこれが一番キツい。

はてなブログでは自分なりに完成されたこと、パッケージまで終わったもの・途中であっても終わる目算があって最後まで書けるだろうなと思うことを書いてきて、なんとなくそうじゃないといけないんじゃないかと思いながらやってきたんだけど、Twitterに書いてきたような、特に論旨のない言いっぱなしの断片みたいなものもここに書いたっていいじゃない、にんげんだもの…という気分になってきた。

そもそも「きちんとまとめる」的なことが苦手だし、親しい人たちは誰も私にそういうことを期待もしてない…気がする。
今までずっと何らかの達成や、完成された・評価に値する作品を表に出さないと評価されないという刷り込みがあっただけのような気がしていて、そんでもってそれは評価する側だった人たちが、とにかく何でもいいから評価基準だのハードルだのを設けて、評価する立場にある自分たちの気に入る人やものごと以外に価値がないことにして、それによってさらに権威、威光を確固たるものにしたいっていうことなんじゃないの?って、最近は思っている。意地悪すぎるかしら?でもそうとしか思えない。
自分もいいものを作りたい、という気持ちはすごくある。いいものを作りたい、でも何をもって「いいもの」とするかは、評価する人の基準に委ねなくてもいいんじゃないか。

完成しない記事を書きますよ、というだけのことに対して、ここまで説明をしないと走り出すことを自分に許可できないのって大変だね、お疲れ様だよ~自分。
説明もしたことだし、思う存分走ろう。


久しぶりに岩絵具を触った。
高校時代は美大に行きたかったので美術予備校に通っていた。なんか日本画って好きな雰囲気の作品が多いんだよね、というだけで日本画科を選択したけれど、受験対策をやる年になってから急に全てがしんどすぎて、色々なことが破綻してしまった。
それから絵はもういいや、っていうかあのしんどい感じが蘇って無理、って感じで、でもなんとなくもう大丈夫じゃないかという気がしたので描いてみたら面白かった。
そういえば試験には関係ないけど大学入ったらやるんだし一応どういう画材を触るのかは知っといた方がいいよね、という感じで夏休みにちゃんと岩絵具や膠を使って日本画を描くという課題があって、それは画題も自由だったからすごく楽しかったし、自分でもこれはいい絵が描けたぞ…と思ったし、ついでに賞も貰えて5000円分の図書券を受けとっていた。
10年間ずっとグネグネしていたけど、最初からそれでよかったんじゃないの?という予感が日に日に大きくなっていく。

ただ同時に心の中の揚げ足取りおじさんが、証拠はあるのか、だったら今描いたものでちゃんと評価されてみろ、発表する度胸もないんだろ、発表したってどうせ評価されないぞ、食っていけないことをやるなんて馬鹿だ、とワーワー言い出して本当にめんどくさい。
揚げ足取りおじさんたちは、とにかく結果を出してない・えらくない・お金を稼いでいない人間の口を封じたがる。
まあでもおじさんたちを家の中に入れない方法を学んできた結果、少しずつ楽になっているのでオッケーです。
(余談:女とか子供とか新入社員とかをやってると、おじさんが来たら嫌だなと思ってもちゃんと家に上げて、しかもていねいにおもてなしをして差し上げなさいって教え込まれがちだよね、ファックユー!)
ほんと、I have nothing to prove to youだよ。


年末に植替えしたシンゴニウムが知らないうちにますます大きくなっていた。もう新しい鉢が小さく見える。


4/5

橋本治父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない (朝日新書) を読んだ。

橋本治の晩年の著作を読むと、書いてある内容とはあまり関係なく、ぎゅーっと胃の底が重くなるような悲しみがやってくる。本人がどう思ってるかはもう分からないから断定はしないけど、とにかく無念であることが伝わってくるというか、こんなにたくさん本を出して、いろんな例えや時事や娯楽映画や編み物、あらゆるものを使って説明して説明して説明して、それでもあんたたちはわかんないのかよ、いいかげんにしろよ、という怒りが滲み出ている、という解釈しかできない。それでも最後まで、本当に死ぬ間際まで言葉を尽くして説明をやってきた優しさと知性にいつも圧倒される。

正直に言うと、昔の著作の方が読んでいて楽しい。
彼は昔から、日本の「当たり前」の外側からぐるっと舞台裏に回り込んで、たね明かしをしてからかってみせるという芸をやってきた人だと私は思っているんだけど、それはたぶん当たり前サイドの人たちにも知性があって、外側の話も聞いてくれるだろうという信頼というか、彼の本質的な楽天家の気質があったからやってたことなんじゃないか。
でも時代が進んでいっても状況が動かない、話を聞く気配がなさすぎて、いよいよ日本の知性を信じられなくなってしまったんじゃないか。
このことが私の突飛な妄想であってほしいと思わずにはいられない。橋本治橋本治のままでいられなかった日本って一体なんなんだ。