seikatsu

楽しい生活をやっています

ふつうじゃないけど特別でもない、それでも楽しく暮らしたい

最近調子がよかったこともあり、少し過集中や感覚過敏がきつくなってきている。

触れるものや見るものや音の情報がすごく多く感じられるというか、感覚のセンサーが少しの揺れで大きく反応してしまう感じがする。
考え事をしたりものを作るには、アイデアが出やすくてとてもいいのだけれど、出掛けたり人と話したりすると疲れやすい。
子供の頃も、確かこんな感じの日が定期的にやってきていた。


ちょうど今日は通院の日なので、先生に感覚過敏のことも相談してみるか~と思っている。覚えていられたら話そう。
でも、少しだけ相談するのが怖い。
昔の嫌な記憶や不安を思い出して、また同じことが起こる想像をしてしまうから。
「こんなこと言ったら、特別扱いされたがるな、調子に乗るなって思われるかな?」


家族との関わりには長年問題があり、特に母親とは、昨年どうしてもこれ以上関わり続けるのは無理だと思う出来事があって、以降連絡を取らないようにしている。
毒親という言葉は今はあまりしっくりきていないけれど、20歳を過ぎたあたりから何度もその言葉を検索ボックスに打ち込んだし、関連する書籍も読み漁った。


母親のことを悪い人だとは、まあ今は思っていないし、色々と援助してもらったことはあるし、そこに関してはありがたい…と素直に思う。
経済的に不自由することはなかったし、やりたいことは大体チャレンジする環境が用意されていた。

でも、母親との記憶の中に、今までずっと悲しくて意味が分からなくてつらかったことがいくつもある。
わたしは普通の子と違うから学校がつらいのかもしれない、という内容の相談をしたとき、普段は優しい母の目つきは急に冷たくなる。
それから、何か子供は知らないようなことを覚えて得意気に話したときも、同じ冷たさを感じて、さっきまであった自信は一気にしぼんでいった。
怖くて話の正確な内容は覚えられなかったけれど、とにかく調子に乗るんじゃない、普通のことがちゃんと出来るようになってから言え、ということを伝えられたのだと思う。
助けてくれると思ったのに、どうしてそんなことを言うの?と訳が分からず、余計に悲しさとショックが重くのしかかった。

発達障害なんじゃないか、病院に連れて行ってほしいと頼んだこともあったけれど、3歳児検診でこの子は発達障害ではありませんと言われたけど?と返されると、それはそうかもしれないんだけどさあ…と途方に暮れるような気持ちになった。

事実と違う記憶の可能性も高いし、学校生活での嫌な思い出が多量に混ざり込んで余計にしんどさが強調されているような気もするけれど、それを差し引いても、あのときの冷たい水を頭から掛けられたような気持ちを再体験すると、母の姿が思い浮かぶ。


私の母は、おそらくどうしても私に「ふつうの人」になってほしくて仕方なかったんじゃないかなあ、と思っている。
私は今も昔も、けっこう普通な部分がある人間だ。

めっちゃくちゃしんどくて大嫌いでつらくて仕方なくて背が低かった頃は泣き叫んだままの状態で引き摺られながら校門をくぐらされたこともあったけれどなんとか不登校にならずに高校まで通って卒業したし、中学までは天才とまではいかないくらいの、成績は学年5~10位あたりに常駐するちょうどいい秀才ぶりを発揮していたし、行儀もそこそこよかったはずだ。授業中に教室を歩き回ることはなく、急にワーッと叫んだり暴れることもなく、いじめられることもなかった。

母はそれらの部分にとても期待していたように思う。
そして、わたしの「ふつうじゃない部分」を見ると、たまらなく不安になっていたんじゃないだろうか。
大人になってから気付いたけれど、あの人はとにかく不安になりやすいタイプみたいだから。

私は母の期待に応えたかったし、安心してほしかったし、あと、そういう風に「ふつうの子」にどんどん最適化していくべき、なぜならお前は才能がない「ふつうの子」なんだから、みたいな社会の圧も、子供ながらに感じていた。

だから「ふつうの子」をやるために、自分なりにかなり頑張っていたし、頑張ることに疲れ果てて(体調が悪いとか成績が落ちるなどの)問題が起き、相談しては冷や水をぶっ掛けられ、また「ふつうの子」をちゃんとやらなくては…と頑張って、というループを回し続けていた。


母の期待や不安と社会の圧を跳ね返せるような、特別な能力があったらよかったのにな、と無いものねだりを今でもしてしまう。
もしくは、プレッシャーを感じにくい体質であったらよかったのになあ。
私はとにかくプレッシャーに弱い。克服したかったけれど、半ばもういいや、という心境になってきた。
だって体質なんだからしょうがなくないですか?


わたしは今も、それなりに普通な部分もあり、今のところ大成功しているわけでもない人間だ。そして、昔とたいして変わらず、「ふつうの人」をちゃんとやるのがマジでしんどい、無理…という問題を抱えて生きている。

別に、誰しもに特別扱いされて、常にVIP待遇を望んでいるわけじゃない。まあそうなったらそうなったで楽しそうですが…。
ただ、能力や成功した実績の有無に関係なく、体質に合った生き方をしたいだけだ。
自分に合った生活をして、楽しく暮らしたい。


失業後に受け取れる各種の福祉制度を全て使ってから、来年はおそらくフリーランスとしてやっていくことになる可能性が高くて、日本社会が想定する「ふつうの人」とはちょっと違う生活をすることになりそうだ。
日本社会はなぜか、会社員以外の大人は「ふつうじゃない」と思っているみたいなので。

まだ連絡を取っていたころ、フリーランスになりたいことも鬱が極まっていた頃うっかり母に相談して、会社員より大変なのにあなたに出来るの?と冷水ぶっ掛けられが発生した。
ところで、別にもう責める気持ちはないんですが、鬱になって休職した娘が、もう会社で働くのは無理そうだけど、かろうじて出来そうだったりやってみたい仕事で個人事業をやっていきたいという前向きな相談をしたときに、そんな風に心を折る必要あります…!?


まあでも、仮に母の言う通り大変だったとしても、知ったこっちゃないだろう。
大人だから、自分で決められるんだもの。大人って最高!

子供の頃の自分が、しんどくて仕方なくても大人になるまで頑張ってくれたおかげです。
ようやった、ありがとう。おかげで今は、楽しく暮らしているよ。