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楽しい生活をやっています

やってよかった2023:早く寝る

やってよかったことの話です。前回の記事はこちらへどうぞ。


昔は夜更かしもするし、朝は起きるのがとてもつらいし、日中も眠くて仕方がないし、自分は朝に弱いんだ…と思っていました。
ところが、2年前に仕事を辞めた日の翌日、「もう出勤しなくていいのか!」と思って寝た日の朝はなんというか、今までとてもつらかったことが嘘みたいに、自然に起きることが出来ました。そのことにめちゃくちゃ感動しました。エウレーカ!って感じです。

それにしても、そんなに出勤がイヤだったんだ!?ど、どんだけ~~~!IKKOさんにも登場してほしいくらいにビックリ。
よく考えたら休日とか、大好きな友人と会う日の朝は問題なく起きられていたので、朝に弱いんじゃなくて、苦手な予定に弱いということだったんだなあ。


というわけで、毎日スッキリと起きられる日が続きました。
それでも定期的に、夜になるとだんだん落ち込んできて、「このままじゃダメかもしれない、やっぱり仕事を探した方がいいんじゃないか。私なんかがこんなに好きなことばかりやっていていいんだろうか…。今まで作ったものはぜんぜん売れてないし、自営業をするならするでもっと営業とか、宣伝とか広告とか、異業種交流会とか、ポートフォリオを作って送ったりとか、苦手なこともきっちりやらないといけないのに、全然うまくできない。SNSも前向きにできない。書くことがない。やっぱりダメかもしれない…。」という思考で頭がいっぱいになるんですよね。

いま文章にして改めて読んでみると、長々と深刻に考えているけど、一言でいうと「自分はダメだ、ちゃんとしなくては」ってことをずっと考えていたんだな…。

私はどこかで「自分はダメだ、ちゃんとしなくては、じゃないと生きていけない」という言葉を学習してしまったんだと思います。
それを教えたのは誰だったか、少しずつ思い出す毎日です。でも、彼・彼女たちがなぜそう言いたがるのかは、よく分かりません。
本人たちに「どうして”自分はダメだと思わないと生きていけない”と私に伝えるの?」と聞いてみたいけれど、昔の恐ろしい記憶もあって、自分から会いにいきたいとは思わないので、やめておきます。


話が逸れました!
ウワ~~どうしよう!鬱!と悩んでいるうちに、坂口恭平さんが躁鬱大学で「鬱の時はちゃんときちんと語が出てくるけど、反省禁止。躁鬱人は早起きするといいよ」と書いていたことを思い出し、早起きを試してみることにしました。坂口さんは夜9時に寝て、朝4時に起きるそうです。
思い切って私も9時に寝ました。反省禁止、反省するだけソンだよ…と唱えながら。
ラッキーなことに睡眠導入の薬も貰っていたので、なんとか眠ることができ、その夜はちゃんときちんとしないと…という不安から離れられました。


それからというもの、毎日だいたい4時~6時に起きて、9時~10時に寝る生活を続けています。
夜明けの光が綺麗なことにも気付きました。よかったね。
遅くまで出かけたり、友達と長電話をする日もあるけれど、楽しい食事や遊びのときに不安がやってくることはないので、そういった日は夜更かしを楽しんでいます。

平気で生きていきたい

バズりたい、ああバズりたい、バズりたい…。
調子が悪いと、バズりたいという思いにとらわれる。

自分の作ったものがSNSでたくさん拡散されて、いいねも2万とか3万くらいついて、お仕事依頼のDMがバンバンに来ることを妄想しては、今ぜんぜんそんな状態じゃない自分に落ち込むし、自責の念にかられる。
よく寝て美味しいものを食べて、リラックスして一晩寝れば回復するようになったから、昔よりは楽になった。でも、自分でこれはいいぞ…と思えるものが出来たときほどバズの欲求につかまって、作ることや毎日の生活を楽しめなくなるのはかなりしんどい。
そんな暗くて自意識過剰なこと考えてるからバズんねえんだよ!と、顔を赤くして怒り出す自分も心の中にいる。やだなー。

よく考えてみると、私の言ってることとやってることはあまりに違いすぎる。バズりたいと言いながらTwitterには鍵を掛け、書けない書けないと悩みながらインスタのキャプションに四苦八苦し、広告を出すわけでもなく、多くの人に好まれるように意識しながら作っているわけでもない。
言動は一旦無視して行動を取り出すと、むしろバズりたくない!と言っているように見える。


本当にバズりたい?有名になりたい?と自分にやさしく問い掛けてみる。本当のことを言っても大丈夫、攻撃されないよ。そう根気強く伝えながら、本心を知ろうとしてみる。
「バズとかどうでもいい。好きでいてくれる人に見てもらえたらそれでいいよ」という答えだった。
バズりたいわけではないのだ。

ただ、バズらなくてはいけないとは思っていた。なんでって、有名にならないと創作活動で食っていけないじゃん。もうフルタイムで働くのはたぶん無理だし。(働きたくないと言うと叩かれそうでこわいから"無理"と不可能性を強調しているが、本当はめちゃくちゃいやだという気持ちの方が強い。働け"ない"んです。できないんです。だから強制しないでください。強制されたくない。)
えっ、それってつまり、働かなくては食っていけない、それが問題の本質なんじゃないの?


働かなくても食っていけたらそれでいい。有名にならなくても別にいい。はたらかないで、たらふく食べたい。それだけだ。
いつだって面白い仕事はしたいし、自分の仕事で依頼をくれた人が喜んでくれるのは本当にうれしい。
でも、面白い仕事と「働く」は決定的に違う。少なくとも、私の中では。そのことをうまく説明できるようになりたいけど、自分の力量ではまだ難しい。

労働は日本国民の義務だ!という人は、たぶんわたしの文章をじっくり読まないだろう。読まなくていいよ。
甘ったれんなとか、そんなんじゃ社会でやっていけないぞと言われても、それでも私はいやだ。そうじゃない社会で暮らしたくて、そうじゃない社会を探しているので。


書くだけならタダだから、ここでは色々な気持ちを体裁よく整えず、正直に書くことにしている。(無意識に、私は和を乱す人じゃないですよ〜空気読んでますよ〜正しいですよ〜〜という文章に、必死に整えようとしている自分に毎回驚いています。ああ過剰適応)

働きたくない。毎日楽しく暮らしたい。ハラスメントは嫌だ。好きじゃない人と毎日話すのもいやだ。断る自由がないのもいやだ。何事も前向きに取り組まなきゃいけない空気もいやだ。

私はマイナス思考で弱くて、物事の嫌な面ばかりに注目しがちで、思い込みが激しくて、好奇心が強いけど怖がりで、毎日うまく出来ないことだらけだ。
弱くて出来ないことだらけで、それでいいよ。私はそういう人でも平気で楽しく生きていける世界で暮らしたい。そのために出来ることをしたい。
私が平気で生きていくことで、弱くて自意識過剰な人が平気で楽しく生きていける場所が、とりあえずひとつ増えるわけだし、そうしたい。
弱くて出来ないことだらけなまま、作り続けたい。


(このことを考え、書くにあたって、栗原康さんの著作がとても助けになりました。進む道に迷い続ける私にとって大切な、登山道の目印や、ベンチのような本です。)



自己責任で死んでしまう前に

私は何事もふつうにちゃんとやろうとすると何も出来なくなる人間なので、子供の頃から今までのことを思い返すと、あー大変だったなあ…という感覚がまず初めにやってきます。頑張ってふつうになろう、ちゃんとしようとすればするほど体が固まって、何も出来ずに叱責を受けてきました。

楽しい出来事もたくさんあったはずなのに、印象に残っているのは母親や学校の教師や会社の上司、その他色々な「えらい人」が怖いとか、上手くできない自分が情けないとか、そういう記憶ばかりです。

楽しい記憶を思い出しにくいのも、もしかしたら特性なのかもしれません。あとは、とにかく「えらい人」が苦手なんだと思います。

 

それから、長年「自分のせいにする」というか、自分にダメな部分があるからうまくいかないんだ、話をきいてもらえないのは自分がいつまでたっても結果を出せなくて、ダメなやつだからだ、と思って過ごしてきました。

私も結果を出したら、成功したら、「えらい人」に話を聞いてもらえるかもしれない、でもいつまで経っても軽んじられて、成功する道に辿り着けなくて、それは自分がダメだからだ、もう毎日が嫌だ。

そう考えて自暴自棄になることを繰り返すばかりでした。

 

でも、一方で「私は悪くない、社会は全て間違っている、今までしてきたことを謝れ、許さないからな」という気持ちも強く強く心のなかにあって、「私はダメだ」と「社会が間違っている」が波のように寄せては返し、常に急勾配の坂道を登っては下るようで、どんどん疲れが溜まって動けなかった。

 

もうこれ以上は無理、でもどこにも行けない、と行き詰まっていて、大人になってから出会えた大切な、信頼できる人たちに気持ちを伝えました。できれば隠し続けていたいと思っていたけれど。

自分の気持ちを、特にマイナスの感情をそのまま伝えるのは、私にとってはものすごく勇気が要ることでした。なんたって、今まで何度も「そんなことをいちいち気にしてたらやっていけない」とか、「文句を言う前に努力して結果を出せ」とか、「もっと周りに合わせて楽にすればいいのに」ということを言われたことしかなかったから。

好きな人にそんなことを言われたら、今度こそ生きていくのが無理になってしまいます。

 

コップの水が溢れるように、たくさんの負の感情をぶつけてしまいました。

それでも、私の話を遮って否定することなく、それは大変だったな、嫌になって当然だ、あなたのせいじゃない、と言ってくれました。

その時に初めて、このまま生きてていいのかもしれない、と思いました。

 

日本で教育を受けて育った私たちは、自分の苦しみを人のせいにすることは絶対にダメだと教わって生きてきています。さらに、不景気かつ自己責任論が流行っているから、余計に自分でなんとかしろ!と、ぴしゃりと跳ね除けられてしまう。

でもそれって、「えらい人」が、出来ない人のせいにしてるとも言えるじゃない?「えらい人」の自己責任は、いったいどこに行ってしまったんでしょうか。

 

今は、お前はダメなやつだ、自己責任でなんとかするべきだ、という声が聞こえても、そうとは限らないと考えられるようになりました。本当にじわじわと、毎日進んだり戻ったりしながら、少しずつだけれども。

自分ひとりの努力で、自己責任で頑張り続けていたら、出来なかったことです。

 

 

 

「自分が思っているほど他人は自分を気にしていないよ」と言われましても

「あなたが思っているほど他人はあなたを気にしていないよ」と、何度言われたことか!

私はいつまでも、いわゆる自意識過剰な性格だし、他人の目が気になる。表に出たがりなのに、否定されると落ち込む。
そんな自分をなんとか変えたい、謙虚で落ち着いた人になりたい…と思って悩む時もある。

いてもたってもいられず相談してみると「あなたが思っているほど他人はあなたを気にしていないよ」という言葉によく出会うし、Yahoo知恵袋で「自意識過剰」と検索すれば「あなたが思っているほど他人はあなたを気にしていないよ」のオンパレードだ。
そう言ってもらって気が楽になるどころか、むしろ怒りを感じていた。ぜんっぜん分かってない!と、筋違いな怒りを抱えていた。相談を聞いてくれた人に怒ってどうする。


ある日の夜、いつものようにグルグルと、自意識過剰を反省しながら眠れないルートに突入しかけたところで「ちょっと待てよ、私は気にしてないよと言ってくれた人に対して分かってない!と怒っているけれど、じゃあ相手は一体何が分かってないの?と聞かれたら、全然上手く説明できないぞ!?」

腹が立ちながらも、早速この問題に対して考えてみる。

「相手が"何を"分かってないかを、自分で一生懸命直視しないようにしているのかな?
直視したくない部分って、だいたい自分にとって都合が悪いとか、恥ずかしくて認めたくないことだよね。それを誰かに分かってほしいとなると、残念ながら自己申告するしかないよなー。あー、やだな。恥ずかしいな。自分からそんなこと言うなんてかっこわるいじゃん。でも分かってほしいんだから、分かるように説明するしかないな。黙ってても察しろよ!って言う人より、気持ちを言葉にしてくれるタイプの人が私は好きだし、好きなタイプに近づくためのトレーニングだと思うことにしよう。あーやだなあ。でも仕方ないよなあ…」

みたいな、うんざりするような自分との押し問答を30分くらい続けて、この押し問答が永遠に続くくらいなら恥ずかしくなった方がマシだ…もう勘弁して…というところまで気持ちを持っていき、ようやくかっこわるいパンドラの箱を開けるに至りました。

箱を開けた結果、「もっと私を見て!注目して!」というシンプルで、欲望丸出しの答えが入っていた。
「他人はあなたを気にしていないよ」と何度言ってもらっても満足できないのは、当たり前の話だった。気にしてほしいんだもの。
あー、こんなことを四六時中考えてるなんて知られたくなかった。
ていうか今の話とは関係ないけど、どうして自分の欲望を丸出しにするとこんなにも恥ずかしくて、罪悪感がふつふつと沸いてくるんだろう?
また新たな疑問が生まれたので、明日はこのことについて考えてみようかな。


というわけで、満足するには「もっと私を見て」という自分の要求に応える必要がある。
ここから解決策を考えていけば、状況が少し変わるかも?
今は夜中の2時だから、誰かに相談するのも気が引ける。
しゃーない、また自分と押し問答するか!
相変わらずくどいので、押し問答の部分は読みたい人だけが読んでもらえれば大丈夫です。

「もっと自分に注目してほしいけど、いきなり私に注目してよ!とお願いして回るのは、それはそれで穴に入りたくなりそうだ。他の方法を試してみたいな。
とりあえず、「あなたが思っているほど他人はあなたを気にしていないよ」よりも、自分が納得できる相談への答えを考えてみたらいいかもしれない。
注目してほしいけど、否定されたり、悪い評価をされるのはつらい……評価?なるほど、悪い評価を気にしてるのか!
となると例えば、「あなたが思っているほど他人はあなたを悪く評価しようとしてないよ」と言い換えてみたら?もしこう言ってもらえたら、すごく気が楽になるかも。注目してもらえるかは分からないけれど、評価が怖い!っていう不安がなくなったら、今よりずいぶん楽な気がする。
よし、自意識過剰っぽくなったらこの言葉を思い出してみよう」


というわけで、自意識過剰が気になって仕方なくなったら「あなたが思っているほど他人はあなたを悪く評価しようとしてないよ」という言葉を、心の中で唱えることにした。

思った以上に効果があって、夜中にグルグル考え込んで眠れなくなる日が3割くらい減りました。押し問答も意外と役に立つ。