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労働に反対し、よい仕事をする

一年の始まりということで、自分は今後どういう感じで生きていきたいかな…ということを、しばらく考えていました。
進みたい方向がなんとなくわかってきので、書き残しておきます。


労働に反対し、よい仕事をする。
これが、いまの私が生きていく上での大きなテーマというか、信念です。
約3年間企業で働いて、本当に心身ともに疲れ果てて、自信を持ってよい仕事をしたと思えたこともなく、自分を含めて人を大切に思う気持ちが奪われました。
いま、毎日少しずつ奪われた大切なものを取り戻して、胸を張って毎日よい生き方ができるように努め、様々なことを試しています。


ある時、仕事と労働は全く違うものだということに気付きました。
会社に所属していた頃から、主に親しい人からの依頼に応えて服を作ったり、デザインやイラストの仕事を少しずつしていました。
初めはまあ趣味の延長だし、と思って、ずいぶん脇の甘いものづくりをしてしまっていました。
でも、自分の仕事で喜んでくれる人を直接見て、お金を頂いて、とても嬉しくて仕方がなく、同時に私にはこの人のためによいものを作る責任があるということが分かりました。
仕事をするって、本当はこういうことなんだ。そう思いました。
依頼してくれた人の要望を叶えるために自分ができることを全力でやって、その上でお互い納得できるぶんだけ対価を受け取る。私はこれが本当の仕事だと思う。
会社で行っていたことは、仕事ではありませんでした。労働ではあるかもしれません。
やりたくないことをやって、我慢した分の対価として、給与を受け取ることは仕事ではないと思います。
いじめをしてきた相手が、まあこれで許してよ、とか言って、お金を渡してくるようなものです。


「いじめに加担すると、自分がいじめられた時に、それはおかしいと言えなくなってしまう。いじめた相手に、お前は間違っている、やめろと言えなくなってしまう。」
かつて尊敬する方がこう話していたことが、何度も思い出されます。
今の日本では、あらゆる場所でいじめが行われています。
あらゆる人が一個人として尊重されることなく、権力に従うことを強制されようとしています。国によって!
異論は多々あると思いますが、制度設計と政府を運営する人々の言動を見ていれば、彼らが私たちを支配したいと考えていることは明らかです。
国だけではありません。企業だって、学校だって、家庭だって、ほとんど全て公正に運営されていません。
完全に公正と平等を達成することは不可能かもしれませんが、フェアであることを目指すべきでしょう。
そんなことは無理だし無駄だよ、現実ってこんなもんだからね、という論理で、多くの人がいじめに加担し続けています。


いま現在、企業で働いている方のことを、ダメだとか間違っているとは言いたくありません。
生活のために今は働くしかないという事情は、よく分かります。働いているあなた自身は悪くない。
ただ、不安と恐怖の気持ちに囚われないでほしいです。自分の人生こんなもんだよね、人間扱いされなくたって仕方ないよね、とは思わないでほしい。
疲れるばかりの毎日でそう考えるのは当たり前かもしれないけれど、私は全ての人が、自分は楽しく生きる権利があり、いじめに屈する理由はないということを、少しでも意識してほしいと願っています。


私もずっといじめに加担し、見て見ぬふりをし続けてきました。
お金が無くなることが怖くて、正社員という立場を失うことが怖くて、3年間も自分の信念を反故にする行いをし続けてきたことを、反省しています。
不安と恐怖に飲み込まれず、したいと思うことをして、こうありたい自分に近づくことを諦めないために、これからも毎日心と体を整えて、楽しい暮らしと、よい仕事をします。