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「男という名の絶望―病としての夫・父・息子」感想 知りたいことがまだ多すぎる

読みました。

仕事や家庭、生活に問題を抱える男性たちに取材し、「男らしさ」にまつわる葛藤や苦しみに迫るという内容です。
自分なりに見立てを作りながら読むと、本書に登場するどの男性も、苦しみの根本に長時間労働・職場内での心理的プレッシャー・割に合わない給与という仕事の状況があり、生活を成り立たせるために、間違ったベクトルであっても「男らしさ」を発動せざるを得ない状況に立たされているように感じます。
実際に、取材内容を読み進めていくと回復事例というか、何らかのきっかけで絶望的な状況から変化が起こるのですが、特に会社との向き合い方がドラマティックに描かれています。会社内での勝ち負け、上下関係を見つめ、距離を取ることで回復する場面には希望を感じました。

取材開始時点では全員が会社員として働いていて、それが日本の男性の常識的なあり方で、その常識的なありかたの中で起こる問題への危機感が、著者の奥田さんの執筆へのモチベーションだったのではないでしょうか。

私は、「男らしさ」よりも、現在の日本における「会社」に絶望しました。
では、どうして会社という組織がここまで絶望的なものになってしまったのか?そして、多くの人が問題を抱えながらも会社で働くということを選択する・そうするしかないと考えているのか?現在のインボイス問題が象徴的ですが、なぜ現政権はそこまでして会社で働くということを国民に強く要求するのか?
まだ分からないことが多すぎて、学びたいことだらけだし、自分の心の中にも働くということに対して大きな葛藤があるので、自分の内面を引き続き(苦しくない範囲で)見ていきたいと思いました。
私自身が、会社で働くことに疲弊し、退職したひとりでもあるので、何が私を苦しめていたのかを知りたいです。

「男という名の絶望」は存在するかもしれないけれど、男性であるという生まれながらの特徴が、絶対的に悪いものというわけではなさそうな気がします。そう思いたい。
私はいわゆる「男社会」に対してはものすごい怒りがあるし、今のところ死ぬまで許さないつもりだけれど、生物学的に持って生まれた特性そのものが絶望の根源だとは思いたくないと考えています。
せっかく持って生まれた力は、楽しく、幸せになるために使ってほしいです。全ての人が自分の力をそのように使える日が来ることを望んでいます。