seikatsu

楽しい生活をやっています

褒められたい子供・息が詰まる大人

子どもが苦手ですが、友人夫婦の女の子が生まれてから何度も交流するうち、少しずつ苦手意識というか、反射的に身構えてしまうことは少なくなってきました。
いまでは月に一度、一緒にお出掛けをしたり家にお邪魔してご飯を食べたりしています。

かわいいんです。本当にかわいい、ピンクの服とサンリオキャラ、車の遊具やパンダのアニメがお気に入りで、会うたびに歌やダンスを披露してくれる三歳の女の子。いつもふみこちゃん大好きー!と笑ってハグをしてくれるし、私も彼女のことが大好きです。

今月も予定を取って、皆で大洗水族館へ行きました。すごく楽しかった!


  

本当に楽しくて良い時間でした。大洗水族館自体も、関東最大級というだけあり見ごたえ抜群です。

それなのに、帰りの電車の中で、心の一部分がわずかに、ふつふつと逆立っていくのが分かりました。
長距離ドライブで疲れたのかと思って、リラックスできるよう目を閉じたり深呼吸を試してみても、なかなかザワザワした感覚が収まりません。
楽しかったし、幼児ちゃんのことが大好きだし、また会うのが楽しみで仕方ないけれど、ほんの少しだけ彼女に対して意地悪な気持ちになっている。なんということでしょう。

幼児ちゃんは、眩しいほどに健やかに自信を持って育っています。いつも○○出来るようになったんだよ!と成長を伝えてくれるし、この服かわいいでしょ!と言ってくるっと回っているところを見ると、この歳で自分の魅せ方がこんなに分かっているとは…と感心してしまいます。
友人夫婦が彼女の自信や好きなもの、欲求を受け止め肯定しているからでもあり、幼児ちゃん自身のポテンシャルも計り知れないものがあります。


振り返って、ほんの少しの意地悪な気持ちを因数分解してみると、どんな風に解いても「私だって褒められたい、出来たことを一緒に喜んでほしい、好きなものの話を聞いてほしい」という答えしか出てきませんでした。
この答えが出た時点で、もう成人して随分経つのに3歳の子供と同じ土俵で戦おうとしているのはちょっとかなりヤバいぞ、ということはすぐ分かって、同時に少し冷静になれました。
そして、きっと意地悪な自分が3歳の頃にタイムスリップしているのだろうと、ストンと納得しました。

ここでまた子供時代、そして親のことを思い出さなきゃいけないのかよ~!とうんざりしながらも、仕方ないので少し昔のことを考えてみます。


私は昔から社交的ではありませんでしたが、褒められたい子供だったと思います。幼児ちゃんのように、描いた絵や折り紙、工作なんかを大人に見て見て!と自慢した記憶があります。
もしかしたら、母も先日の私のように、見て見て!すごいでしょ!と無邪気に自慢してくる我が子に対して、ウッ…と息が詰まるような思いだったのかもしれません。
しかも、来る日も来る日も魚の絵ばかりを描いていた(今も昔も、魚が生き物の中で一番好きです)から、この子ちょっとヘンだぞ、これを手放しで褒めていいのか?という迷いもあったかもしれない。
魚じゃなくて他の子みたいにお姫様の絵、女の子の絵を描けばいいのかな、もっと上手に描けばいいのかな、と色々試してみましたが、思うように結果は出ませんでした。上手になれという話ではないことが4歳の子供にわかるはずもなく、すれ違いが続きました。


全て想像に過ぎませんが、母がいつまでも手放しで私を褒めることがなかった理由に、少しだけ迫れた気がします。
思い返すと母との関係に限らず、おそらく褒められたくて頑張るけど、褒められたさが表に出過ぎていること、それから努力の方向がちょっとヘンだったことが理由で、一部の大人からすごく冷たい態度を取られてきた記憶が強く残っています。

でも一方で、少ないながらも自分のことを面白がってくれる大人や同年代の友人も、いつの頃だって確実にいてくれました。今でもそうです。
これからは、誰からも褒められたいと願って努力するより、大事な人たちの言葉を信じたいと思いました。とっても難しいけど!
少しずつやっていくしかないですね。


褒められたい気持ちとは関係ないけれど、幼児ちゃんのフリルが可愛いピンクワンピースがいいなあ羨ましいな、私も可愛い服を着たいな、とも思ったので、とびきり可愛いワンピースを自分に用意してあげようと思っています。寝る時も着られるように、ルームウェアに使えるものがいいな。